
覚えていたため討つことができない金王丸は、自ら義経に討たれる道を選び、
主人への忠義をも守り武将らしい立派な最期を遂げたと伝えられている。
平家物語に記されている最期。義経が涙を流しながら「主の命を重んじて自らの命を軽んずる志は神妙。
命が惜しければ鎌倉に返すがどうか?」と告げると金王丸は「頼朝殿から義経殿を討てと命ぜられてから
命は頼朝殿に捧げました。捧げた命をどうして取り戻せましょう。
情けをおかけになるのであれば早く首をはねてください」。
鎌倉亀ヶ谷の館にあった憂忘桜をこの地に移植させ、金王桜と名付けた《金王桜》があります。
金王桜は、長州緋桜という種類で、一枝に一重と八重が混ざって咲く珍しい桜だそうです。
金王八幡宮の金王桜・円照寺の右衛門桜・白山神社の旗桜は江戸三名桜。
お花見の頃、また訪れたいと思います。
現在の渋谷川
現在の渋谷警察署、ヒカリエ、クロスタワーを含む一帯にあったようです。
北条氏綱が江戸城を奪おうと扇谷上杉朝興と高輪原の戦いに及んだ際、
渋谷城は北条氏によって焼き払われたとされる。